阪神・淡路大震災から26年
毎年この時期になると、この文字を見ると何故か涙が出ます。
関西圏、とりわけ近畿に住んでいる方には大きな出来事だったと思います。
私の話し相手になってくれている職場の後輩達は、このときまだ産まれていませんでした。
話だけは知ってる、という年代ではありますが、それでも大きなジェネレーションギャップを感じます。
多分戦争を知ってる世代知らない世代もこんな感じだったんでしょうね。
知っていてほしい半面、経験や追体験してほしくないから知らないでいてほしい。
そんな記憶でしょうし。
私は大阪生まれ大阪育ちで、被災者ではあるもののほぼ何の被害もありませんでした。
家が壊れたわけでも、避難生活になったわけでも、知人が亡くなったわけでもありません。
家具が倒れてきて食器とかが割れたりはしましたけど、その程度です。
水道も電気もガスも無事でしたから、その食器などの片付けさえすればすぐに普通の生活に戻れました。
ただ幼いながら、あの日何処かで凄く大変なことが起こったと思ったことを覚えています。
多くの人が大変な目に遭ったと聞きました。
多くの人が大変な目に遭ったとニュースで見ました。
その中で私は無事に生きて、26年後の今もこうやって元気に生きています。
世の中で起きた事件はこれだけではないし、大きかろうが小さかろうが、近かろうが遠かろうが毎日何かが起きています。
それでも一人ひとりが「生きている」ということを忘れないでほしいと思うんですよね。
先日も人身事故で電車が遅れたんですが、噂ではどうやら飛び込みだったそうです。
もしこれが本当に自殺なら、今日を生きたくても生きられなかった人もいるということを一瞬でも考えてほしいと言いたかったです。
生きたくて生きているんじゃないとか、所詮他人事だから言えるんだとか、もちろん様々な言い分や意見もあると思いますけど、それでも「生きていることは普通じゃない」ってこと、自覚してほしいなって思います。
特にこのコロナ禍で自殺者も増えている今、この1月17日を迎えてより考えさせられました。
私は今日も明日も来年も生きていきます。